ユラユラに情愛 2

 二十四歳の私に出来た三歳年下の彼との初めてのデートは、十時に駅前の時計の下で落ち合う約束をした。私と彼には初々しさや緊張感なんてまるで無い。私は自分に彼氏というポジションの人物がいるならそれで良いと考えているし、彼は日本にモテるチャラ男ランキングというものがあれば上位十位に入るであろうくらい軽い男なので、もはや熟練されたカップルのように、顔を合わせると同時にじゃあ電車に乗ろうと言ってきた彼に言われるがまま黙って付いて行った。
「この主人公の後輩刑事の子さ、めっちゃ可愛くない?」
「可愛いね」
「付き合いて~」
「いいじゃん。付き合ってきたら?」
「…だね。そうするわ」
 どこに行くのかと思えば家に連れ込んで、当たり前であるかのように録画したドラマを観始めた。一目もはばからずカフェで堂々と世界中の女性を愛していると言えるほどの男である。てっきり付き合って早々にも関わらず行為に及ぶつもりかと疑ったので、居間に案内されテレビをつけ出した時にはまさか自分の性癖を教えるためにアダルトビデオを流し出すのかと思ったら、濡れ場さえあると思えない刑事ドラマが流れ出した。一緒に観ようと言われて訳も分からぬまま眺めているが、わざわざ恋人同士でドラマを観る意味が分からない。
 そもそも、交際してすぐに家に呼ぶなんてどうかしている。私達の場合、出会ったのも交際を始めたのも同じ日なので、例外なのだが。それは置いておいて、初デートといえば、一般的には水族館や動物園、遊園地、映画館といったところが主流では無いのか。水族館や動物園では同じものを見て感動を共有するとか、遊園地ではアトラクションを楽しみながら盛り上がったり嫌がる彼女を無理矢理お化け屋敷に入って守る事で男らしさを見せつけるとか、映画館では映画を楽しみつつも暗闇の中で手を繋ぐか繋いでくるかに胸をどきどきさせていたらいつの間にか映画が終わっていて内容を全く覚えていないとか…そういうのを楽しむものだと思っていた。こう考えてみると初デートには映画館が妥当だ。全ての意図は私の憶測に過ぎないが、少なくとも私が過去に交際してきた男性はこれらを初デートの場所に選んでいた。
 唐突に最近流行っている女優を愛でだしたかと思えば、今度は突然ドラマを観るのに集中しだす。今日初めて観たものだし、あらすじを説明されてもやはり興味が持てない。女優が可愛いとか話の展開に驚くとか、何でも良いから話を続けてくれればいいのに。
 他にする事も無いのでテレビ画面をぼーっと眺めてみる。あの日は、浮ついてはいるがとても律儀で気の遣える人だと感じたのに、私の目は間違っていたのだろうか。自分に向けられている視線に気が付いた。
「仁華さ、そんな物欲しそうな顔して。したいの?」
「したい訳じゃないけどいいよ。しよ」
「いや、いいです」
 自分から誘ってきておいて、相手が快く了承したのに拒否するとは何事だろうか。先刻女優と付き合いたいと言ったくせにどうぞと言った途端に返事が適当になったのだってそうだ。彰を見ていると、どこまでいっても煮え切らない男だと感じる。
 物欲しいというよりは物足りないと言った方が近いが、ドラマを観るならもう少し面白さを共有してほしいと言ったところだ。第一、家に呼ぶつもりだったなら駅前で待ち合わせた事は無駄としか言い様が無いし、映画ならまだしも自宅でドラマを観る初デートなんて無意味以外の言葉で表し様が無い。
「何か言いたい事があるならどうぞ」
「別に何も」
 考えれば考えるほど、十割悪いのは彼の方だ。ただ、文句を言えば交際して一週間も経たずに別れるなんていう事になりかねない。今日のところは様子を見るために何も言わないのが適切だ。何も知らないまま付き合って、そのまま別れる事になるのはあまりに不躾すぎる。
 だが、少しは話をしていた方が良かったのだろうか。
 次のデートも、その次のデートも、録画していたドラマ、時には借りてきた映画を観て、顔の整った美しい女優を愛でる。日を重ねるごとに程度は甚だしくなっていって、気が付けば数ヶ月が経っていた。酷くなっているという事は、それだけ話をしている時間があるので、ドラマ自体観ていて退屈だと思う事は少なくなったし、テレビの中の彼女らに熱を上げる彰を見ているのはすごく楽しい。
「最近嬉しそうにしてるけどなんで?好きな俳優でも出来た?」
「出来ないよ」
 私が見ているのはドラマを観ている貴方なんだから出来る訳が無いと伝えれば怒らせるかもしれないと思い言えなかった。
 そういえば様子見だと言い続けて、家でテレビを観てばかりでは無く外に行こうと言った事も、テレビを観るだけで自分がどんな人間なのかを伝えた事も無かった。だからお互いに何をすると相手が怒るのかとか喜ぶのかとか、基本的なところさえ分からないでいる。
「たまには外でデートしよっか」
「え?」
 あまりに唐突で衝撃的な彼の提案に、開いた口が塞がらない。
「嫌だったら別にいいけど」
「ううん。行ってみたい」
 連れて行かれたのは、この一帯で一番大きい映画館だった。家で観ているのとは明らかに違う座席によって出来たこの距離感から来る緊張感に、私の胸も落ち着かなかった。こんなにどきどきしているのは初めてだったかもしれない。肘掛けに置いていた手を取られた瞬間、自分の心臓の音が映画の大音量を掻き消すんじゃないかと思うほどだった。私が恋人を求めるのはこういった胸の高鳴りを味わいたいからだと思う。
 映画館を出てからも手は繋いでいたけど、映画を観ていた時とは少し違っている。
 休日の午後は人で溢れていて、彼の目は移っていくばかりだろう。すれ違う女の子を見ていく彼を、私はじっと見つめていた。心臓の音が伝わっていかないかそればかり気にして、ほとんど覚えていない映画の話をされても何も答えられなかっただろうから、その点に関しては好都合だ。
「あの茶髪のミニスカートの子すごく可愛い」
「可愛いね。行ってくるの?」
 家でドラマを見ている時と全く変わらない会話で、彼が変わらず女の子の話をするのは想像出来ていたから驚きは無かった。いつもと違うのは、その女の子はすぐ目の前に、手の届くところにいる。
 私の事なんて放ったらかして、ナンパでもなんでもしてくればいい。映画を観ていた時はとても楽しかったから、胸が少し痛むけど。
「いいよ」
「なんで?」
 見るからに機嫌が悪そうで、何か気に障る事をしたのだろうかと原因を考えるが、いくら探しても見当たらない。彼はますます怒りをあらわにする。
「本気で言ってんの?」
「何が…?」
 彼にこんなにも恐怖感を与えられたのは初めてだ。迫力のある彰を目の前に、声が震える。
 いつもは画面の中にいて届かない人にばかり惹かれているのに、今はこんなに近くに好みの女の子がいる。その想いを応援する事の何が悪いって言うんだろう。
「ごめん。今日は帰るわ」
 展開が早すぎて何がどうなっているのか全く理解出来ない。彼は瞬く間に雑踏の中に消えていってしまった。
 もしかしたら私は、ずっと何かを間違えてきていたのかもしれない。でもそれが何なのか、自分では全く分からない。ただ一つだけはっきりしていたのは、彼を悲しませている事だけだ。
 今日はという言葉を信じて次のデートの約束をする連絡を、今か今かと待っているのに、一向に来る気配が無い。お互い二十歳を過ぎているにも関わらず、このまま自然消滅なんて事もあり得るのかもしれない。そう考えると逆に可笑しくなって、なんだか笑えてきた。

 連絡が来なくなってもう二週間が経っていた。カフェで社員として働いているが、勤務中はかなり忘れられるもので、休みを取る事なくシフトを入れていた。お前は恋人なんかいなくても大丈夫だと自分に言い聞かせる様に
 ドアの鳴る音にテーブルを拭く手を止め、笑顔で声掛けをしようと目をやったそこにいたのは、彰と、私の知らない女性だった。
 まさか彼の中では完全に終わった事にされていて、もう新しい恋人が出来たのではないだろうか。私が彼に声をかけた日が彼女と別れた当日だったのでそれは十分にあり得る。
 運悪く他の店員は全員キッチンに入っている様で、案内出来るのが私だけだったからしぶしぶ彼らの応対をする。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二名です」
「二名様ですね。かしこまりました」
 思ったよりは落ち着いて案内する事が出来たし、注文を聞く事も出来た。彰は全く口を開かず、しっかりしていると見受けられた女性の方が話し続けていた。
 滞在時間は小一時間と言ったところだっただろうか。私の頭の中はあの女性と彼が交際をし始めているという事で確定している。私が彼を怒らせてしまった事で、自然に関係が消滅するという結果を招いてしまったのだ。彼と女性が店を出てからも、ずっと楽しそうに話していたあの光景が思い出された。割り切ろうとしても私の中から消えてくれない。仕事場にあんなもの見せつけに来るなんて本当に止めてほしい。
 なんとか仕事をこなし、仕事の間に来ていた連絡を確認するために携帯を確認してみると、彰から一本のメールが入っていた。話があるので閉店時間に店の前で待っているという内容だった。
「お疲れ様」
 店の玄関前の道に出てみると彰の姿があった。本当に待っていると思わなかったので少し驚きつつも気休めの会釈をしてみせる。
「可愛い人だったね。良い人そうじゃん」
 言った瞬間に、彰が眉をひそめた。新しい彼女が出来たなら、私の事なんて構わずにもう放っておいてほしい。
「まだそんな事言うつもり?」 
「彼女が出来たって報告なら電話でも良い事無かった?別に顔合わせる事も無いしさ、紹介もせずにただ食べていくだけってどうかと思うんだけど」
「そんなにむしゃくしゃしてるのって、まさかとは思うけど嫉妬?」
 と聞いてきたが、私の返事を待たずに、仁華に嫉妬っていう概念があったら僕もこんなに悩んでないんだから聞く意味が無かったと呟いて自分の中で解決したようだ。
「芸能人と一般人は別だって割り切ってるのはいい事だと思うけど、さすがに割り切りすぎだよね」
「好きなものは好きなんだから私に咎める権利は無いし、彼氏の幸せを願うのが彼女っていうものでしょう?」
「彼女なんだからちょっとは欲持っていいと思うんだけど」
 世界中の女の子を愛していると豪語する彰がそんな事を言った事に、驚きが隠せなかった。
 好きなものを恋人に規制されたいのが人という生き物なのか、いついかなる時も自由な状態でありたいと思う私が可笑しいのだろうか。
「かと思ったらそこらへんの何でも無い子可愛いって言ったって同じ反応するじゃん」
「それだって…」
 可愛いものは可愛いと愛でれば良い。好きなのだから仕方無いと言えば、彼を更に逆上させてしまうのだろう。
「分かった。別れよう」
 突然の提案に驚くが、彼の中で私との関係が続いていた事に驚く。
 やはり私は交際を始めても長くは続けられないのか。恋人の幸せを一番に考えて行動をしていた筈なのに、なんでこうも上手くいかないんだろう。振られるのなんていつもの事なのに、どうしてこんなに泣きそうになっているんだろう。
 ちゃんと返事をして前に進まなければいけないのに、涙を堪え切れない。
「仁華って何か言いたい事がある時って、下唇噛む癖があるんだよね。俺的には嫌な事に対してが多いと思うんだけど、今もそうじゃない?」
 違う?と言ってきた彼に、私は否定出来なかった。今そうなっているなら、彼の言っている事に間違いは無い。
「俺は、俺に夢中になった仁華を見るまで別れたくないんだけど」
 俯く私の頭を優しく撫でて、顔を覗き込んできた。
「だからさ、もうちょっと感心持ってくれないかなって」
「そういうところが嫌いなの」
 彰は全世界の女の子を愛していると豪語している自分に酔っていて、私はそんな彼に愛されたいと思ってしまったんだろう。あまりに分かりやすく目移りしていて、たくさん愛でているのに対して、交際を始めた日以来私の事は一切褒めも愛でもしてくれないものだから。
 涙で濡れた顔を上げて、彼に思い切り抱き着いた。